イベントで知り合った人に後で小挨拶(小さな挨拶)の連絡をする重要性
今この記事を読んでくださっているあなたは、もしかすると何かのセミナーやイベントに参加してみた方かもしれません。
もしくは、はじめて会った方や尊敬する方と連絡先を交換することに成功した方、職場でプロジェクトの担当を2人で組むことになった方などがいらっしゃるかもしれません。
新たに人との繋がりができた方は、ぜひとも、その人に小さな挨拶「小挨拶」の連絡をしてみよう。
執筆者からのメッセージ
「なぜならこんな効果があるからです」
「こうすることでこんな良いことが起きます」
などといった論理的なロジックをお話するつもりはありません。
やってみれば分かるからです。
やり続ければ分かるからです。
人は皆、全く違い、好みや興味、普段扱う言葉、耳にしている音、馴染みのある匂いなど、あらゆる要因でその人が作り上げられているので全く同じ人は2人としていません。
そのような世界で一つのロジックが皆に一貫して通用することがあるはずがありません。
しかし、何度も繰り返し実践することで、とある傾向が見えてくることがあります。
Aということを実践すれば、Dという結果になりやすい、ということがわかってくるのです。
これが「統計学」です。
「原因」と「結果」の考え方です。
「本を読む」というのは、先人たちが気づいた「原因」と「結果」の法則を教えていただく、という行為に似ています。
このサイトは、そういった先人たちが残してくれた知恵を共有する場として開設しました。
ぜひ、人生の糧としていただければ幸いです。
皆、期待と不安を抱えている
安心してください。
小挨拶の連絡をもらう側もあなたと同じように、新たな人との繋がりに期待と不安を抱えています。
この期待と不安は人間関係にはつきもので、あなただけが抱いている感情ではありません。
今から小挨拶のメールを送ろうとしているあの教授だって、あのアーティストだって、あの起業家だって、あの政治家だって、同じく期待と不安を抱いています。
逆の立場だったらどうでしょう?
あなたがとある大きな講演会や小さな勉強会で登壇し、講演の参加者数名が声をかけてきて名刺交換をしたとします。
講演が終わり、一段落した夕方頃、スマホに1通のメールが届きます。
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先程の講演、非常に感銘を受けました。
脳の仕組みを理解し、外部刺激に対して脳がどのように反応しているのか客観的に捉え、一定のトレーニングをすることで脳がどのように反応するのかを自ら矯正することができる、ということに気づくことができました。
このことに気づくことができ、これからの自分の人生を自分でデザインしていく自信がつきました。
本当にありがとうございます。
私は経営コンサルティングの傍ら、高校や大学の学生によるベンチャー企業立ち上げのアドバイザーや経営指導などを行っておりまして、本日ご講演いただいた内容が非常に活きると確信いたしました。
次回の講演がございましたら、ぜひ参加させていただきたいと思います。
本日は大変貴重な見解、視点をご教授いただき誠にありがとうございました。
またの講演の機会を心よりお待ちしております。
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このようなメールが届きましたが、あなたはどのように感じるでしょう?
人によってはプレッシャーに感じる方もいらっしゃるでしょう。
または自分の見解がこの人の役に立てたことに充実感を感じる方もいるでしょう。
感じ方は人それぞれですが、多くの場合は後者の「充実感」を感じるのではないでしょうか。
「神様に話しかけづらい」のは日本人特有の精神的特徴
おそらく日本人特有の感覚だと思うのですが、講演や勉強会で登壇した人のことを「ものすごく偉い人」「自分には手が届かないところで仕事をしている人」といったように、登壇している人のことを「神様」のような感じで得も言えぬ尊敬の念を強く抱いているように感じます。
それは、ほとんどの日本人が、「講演を聴く側」しか経験していないからだと思います。
講演に登壇している彼らは、ある種の「個性」を表現しているのですが、日本においては個性を大っぴらに表現することに抵抗を感じている人が多いのではないでしょうか。
個性とは、その人に備わっている固有の性質です。
それは外見的特徴でもあり、内面的特徴でもあります。
内面的特徴はまさに「物事の考え方」です。
「何を考えているか」です。
講演の登壇者はその内面的特徴(何を考えているか、個性)を発表しているのです。
その個性に対して話しかけようとするならば視聴者側も個性を持って話しかけるわけです。
しかし、日本人はこの「個性」を失ってはいないものの、個性を表に出さないように、押し殺すように教育されてきました。
日本人は分断され個性を押し殺し「大衆」に成り下がった
私たち日本人は、ルールを非常に重視するよう義務教育で刷り込まれてきました。
例を出すまでもありません。
ピンとこない方は、一旦ここでページをスクロールするのを止めて、義務教育時代を思い出してみてください。
「『ルール』とは言われていなかったけど当たり前のように○○してたなぁ。」
ということがいくつも出てくるはずです。
このようにして、大衆のベースとなる「命令に従順な人間性」を醸成していきます。
近年では、テレビに限らず主要SNSでもニュースメディアでも顕著な風潮があります。
それが「分断」です。
人々をカテゴライズしていがみ合う構図をテレビをはじめ、Twitter、Facebook、You Tubeなどで見せられ、無意識に自らをそのカテゴリに当てはめてしまい、いがみ合う対象となるカテゴリを貶めようと奮闘するのです。
職業、宗教、政治的思想、性別、年齢、思考、などでカテゴライズして分断して互いに争わせようとしているな、とテレビを見ているとわかります。
そのような社会のあり方に私は「NO」を突きつけているのです。
いがみ合う社会はやっぱり嫌ですからね。
縛られた世界で支配されながら生きていると、死ぬときに後悔すると思います。
(支配されていることは知らぬが仏かもしれませんが)
そんな世界をやめて、楽しく人生を過ごし、納得して死にたいのです。